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1985年(昭和60年)ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


ヤクルト 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 ロッテ 阪急 西武 日本ハム 南海 選択方法



この年は甲子園の怪物・清原和博(PL学園高)と、即戦力の呼び声高い伊東昭光(本田技研)に注目が集まった。


●甲子園の怪物・清原和博(PL学園)に6球団が競合
PL学園高の四番打者として、高校一年夏、二年春、二年夏、三年春、三年夏と、全ての甲子園へ出場。一年生・夏の甲子園では、高知商の津野浩(日本ハム3位)から3安打、横浜商の三浦将明(中日3位)から本塁打を打ち、優勝に貢献。高校二年夏の甲子園では1試合3本塁打の活躍で準優勝に貢献。高校三年夏の甲子園では大会5本塁打を放ち優勝に貢献するなど、甲子園では凄まじい活躍で「怪物」の異名を取った。

ドラフト前から巨人入りを熱望し、「巨人の1位は清原で決まり」ではと囁かれた。その一方で、チームメートの桑田真澄投手は早稲田大進学が決定的で、プロ入りは100%ないものだと思われていた。しかしフタを開けると清原を指名したのは、南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神の6球団で、抽選により西武が交渉権を獲得。

巨人は清原ではなく、桑田を入札1位指名。清原を指名せずに世間の批判を浴びた巨人だが、ハズレ1位(または2位以下でも)取れた桑田をなぜ1位指名したのか摩訶不思議。


ドラフト会議翌日の新聞より抜粋(1985年11月21日)

「巨人が和博を必要としなかった。本人もショックをうけている。西武のことはあとで…」(清原の御両親)、「清原と桑田の純情な気持ちを大人が壊してしまった。巨人が私のところにきても会う気はない」(PL学園・監督)、「あれだけ早稲田大に行きますと言ったのだから、好きな球団に指名され早稲田に行くのはやめますでは情けない。裏取引はないと思いたいが…。桑田君がうちに来ることを信じて、24日の教育学部の特別選抜試験を待つだけです」(早大・監督)


その後、PL学園・中村監督は道義上の責任を感じ、辞任を申し入れた。(慰留され辞任はせず)。また桑田巨人入団により、早稲田大はPL学園野球部から選手をとらなくなった。明治・法政など他の東京六大学も同調、これがPL学園の低迷期へと繋がっていくことになる。

指名後の記者会見で悔し涙を流した清原は、1997年、憧れの巨人に移籍。


●土佐の怪童・中山裕章(高知商)は大洋1位
高校一年夏三年夏の二回甲子園へ出場。高校三年夏の甲子園・2回戦の志度商戦では立ち上がりから飛ばし、6連続奪三振を記録。スピードガンは、145、140、142、145と、軒並み140キロを突破し、「尾崎、池永を思わせる久しぶりの剛速球投手」と、プロの評価が一気に上がった。

当時のスポーツ紙のスカウト語録をみると、「剛の中山、柔の桑田(PL学園)」、「将来性では中山のほうが上」、「惚れ惚れする馬力。高校時代の江川に似ている」など、桑田よりも中山を高く評価するコメントが多かった。

ドラフト会議では大洋が一本釣りに成功し、単独1位指名。プロ入団2年目に5勝、3年目には10勝6敗24セーブ、防御率2.28の好成績をおさめた。後に先発に転向しエース街道を突っ走っていたが、強制わいせつ容疑で逮捕され、大洋をクビになった。その後、被害者との和解が成立し、1994年にプロ復帰。通算成績は、423試合出場し、51勝71敗62セーブ 防御率3.83。不祥事により一時プロ野球界を離れていたのは非常に残念。


●ロサンゼルス五輪のエース・伊東昭光(本田技研)に3球団が競合
帝京高〜本田技研。高校2年の時、1980年センバツ大会に出場。決勝戦は「球道くん」こと中西清起(後に阪神)の高知商と対戦し、延長10回、0−1でサヨナラ負け。惜しくも準優勝に終わった。

甲子園に出たのはこれ1回だけで、あとは一つ年下の荒木大輔(早稲田実〜ヤクルト)に阻まれた。高校卒業後、本田技研に入社。ロサンゼルス五輪に出場し、金メダル獲得に貢献。

ドラフト会議では、ヤクルト、阪急、ロッテの3球団が1位指名し、抽選によりヤクルトへ。プロ入3年目に18勝をマークし最多勝を獲得するなど、ヤクルトの右のエースとして活躍した。


●その他、指名された主な選手は
投手では、巨人のエース・桑田真澄(巨人1位)、プロ通算76勝の園川一美(ロッテ2位)、速球王・長富浩志(広島1位)、通算29勝30セーブ・中継ぎとして活躍した広田浩章(巨人2位)ら。

野手では、日本ハムの和製大砲・田中幸雄(日本ハム3位)、守備の名手で通算700安打の本西厚博(阪急4位)、入団8年目にポジションを獲得した遅咲き・広瀬哲朗(日本ハム1位)、1987年度セ・リーグ新人王の荒井幸雄(ヤクルト2位)らがプロで活躍。





1985年(昭和60年)ドラフト会議の結果

阪神
1位 遠山 昭治 八代一高 投手
2位 中野 佐資 三菱重工横浜 外野手
3位 服部 裕昭 浦安高 投手
4位 宮内 仁一 池田高 外野手
5位 吉田 康夫 三菱自動車川崎 捕手
プロ入り後の成績
   
 
広島
1位 長冨 浩志 NTT関東 投手
2位 高 信二 東筑高 内野手
3位 河田 雄祐 帝京高 外野手
4位 谷下 和人 小松商高 投手
5位 足立 亘 境高 投手
プロ入り後の成績
   
 
巨人
1位 桑田 真澄 PL学園高 投手
2位 広田 浩章 NTT中国 投手
3位 渡辺 政仁 北陽高 投手
4位 本原 正治 広陵高 投手
5位 福王 昭仁 明治大 内野手
6位 杉浦 守 愛工大名電高 外野手
プロ入り後の成績
 
大洋
1位 中山 裕章 高知商高 投手
2位 高橋 一彦 日本石油 投手
3位 大川 隆 銚子商高 投手
4位 北野 勝則 三重海星高 投手
5位 相川 英明 横浜高 投手
6位 大久保 勝也 長崎海星高 投手
プロ入り後の成績
 
中日
1位 斉藤 学 青山学院大 投手
2位 片平 哲也 銚子商高 投手
3位 内田 強 日立製作所 捕手
4位 小森 哲也 上宮高 内野手
5位 前原 博之 県岐阜商高 内野手
6位 遠田 誠治 新日鉄室蘭 内野手
プロ入り後の成績
 
ヤクルト
1位 伊東 昭光 本田技研 投手
2位 荒井 幸雄 日本石油 外野手
3位 内山 憲一 伊勢崎商高 投手
4位 矢野 和哉 神戸製鋼 投手
5位 山田 勉 大垣工高 投手
6位 杉山 孝一 新日鉄名古屋 外野手
プロ入り後の成績

西武
1位 清原 和博 PL学園高 内野手
2位 山野 和明 鎮西高 外野手
3位 原口 哲也 熊谷商高 投手
4位 森 博幸 新日鉄君津 外野手
5位 岡田 展和 近大福山高 投手
6位 横田 久則 那賀高 投手
プロ入り後の成績
 
ロッテ
1位 石田 雅彦 川越工高 投手
2位 園川 一美 日本体育大 投手
3位 森田 芳彦 鹿児島鉄道 内野手
4位 古川 慎一 亜細亜大 外野手
5位 古賀 道人 関東一高 内野手
6位 有倉 雅史 北海高 投手
プロ入り後の成績
 
近鉄
1位 桧山 泰浩 東筑高 投手
2位 山田 真実 高野山高 投手
3位 福島 明弘 大宮東高 投手
4位 池上 誠一 滝川高 投手
5位 福地 経人 九州産大 投手
6位 吉川 啓一 鎮西高 捕手
プロ入り後の成績
 
阪急
1位 石井 宏 日本大 投手
2位 山本 誠 明徳義塾高 投手
3位 渡辺 伸治 東海大 捕手
4位 本西 厚博 三菱重工長崎 内野手
5位 高見 泰範 愛知工大 捕手
6位 風岡 尚幸 春日丘高 内野手
プロ入り後の成績
 
日本ハム
1位 広瀬 哲朗 本田技研 内野手
2位 渡辺 弘 九州産大 投手
3位 田中 幸雄 都城高 内野手
4位 沖 泰司 スリーボンド 内野手
5位 水沢 正浩 大宮東高 投手
6位 大内 実 尽誠学園高 外野手
プロ入り後の成績
  
南海
1位 西川 佳明 法政大 投手
2位 中村 弘道 北海道拓銀 投手
3位 広永 益隆 徳島商高 投手
4位 西山 秀二 上宮高 捕手
5位 坂田 和隆 九州産大 投手
6位 安田 秀之 享栄高 外野手
プロ入り後の成績





1985年(昭和60年)ってどんな年?
日本レコード大賞 中森明菜「ミ・アモーレ」
最優秀新人賞 中山美穂「C」
世相や流行 阪神優勝フィーバー ロス疑惑の三浦和義逮捕
流行言葉 エッチする チェックする うざったい 金妻
社会の出来事 日航ジャンボ機墜落事故 豊田商事事件
プロ野球の優勝チーム セ:阪神74勝49敗7引 パ:西武79勝45敗6引
プロ野球の最優秀選手 セ:バース(阪神) パ:落合博満(ロッテ)
春の甲子園優勝校 伊野商(バッテリー:渡辺−柳野)
夏の甲子園優勝校 PL学園(バッテリー:桑田−杉本)